80年代アニメを知りたい! 伝えたい!

主に1980年代に制作されたアニメや関西で行われるイベントについてを20代の若造の視点で書いていこうと思います。

【庵野 秀明ヒストリー】20代の頃の庵野監督を調べてみたら凄すぎた🚀

どうも、すでに2021年が待ち遠しいと感じるSATAトミオです

『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』がいよいよ2021年1月23日より公開されます(あくまで公開予定ですけど…)

2012年に公開された『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』から約8年もの歳月が流れたとあって、新作の公開を心待ちにしている方も多いでしょう

私自身「ヱヴァQ」が公開された当時はまだ高校生でしたので、改めて長い月日が流れているのだと感じます(現在26歳なんでね♪)

 

www.evangelion.co.jp


そんな『エヴァ』シリーズの監督をされている方といえば、アニメファンなら誰もが知っているであろうこの方、庵野秀明さんです

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庵野秀明とは、1960年5月22日山口県宇部市生まれのアニメ監督・アニメ製作会社「カラー」の代表取締役(あと、実写映画監督・プロデューサー・声優など)

監督代表作に『トップをねらえ!』『ふしぎの海のナディア』『新世紀エヴァンゲリオン』などがあります

近年では、『シン・ゴジラ』などの実写映画の総監督もされ、2021年初夏公開予定の『シン・ウルトラマン』では企画・脚本として参加されています

 

shin-ultraman.jp

 

そんな数々の名作を世に出してきた庵野監督でありますが、『エヴァンゲリオン』の監督される以前…つまり下積み時代である80年代に庵野監督が何をされていたというのは、知っているようで実は知らない方も多いのではないでしょうか?

1980年代を駆け抜けた20代の若き庵野さんを知れば、『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』もより楽しめるハズ!

というわけで今回は、80年代の庵野秀明さんについて書いてきます


(ここで書く年表は作品公開時を基準にしております。時系列が前後することもありますがご了承ください。)

 


1980年 (庵野秀明:20歳)

大阪芸術大学、入学

高校卒業後、大学に進学することなく浪人した庵野さんは、新聞配達のバイトをして『機動戦士ガンダム』の放送を楽しむ日々を過ごします

〔とにかく大学に行ってくれ〕と両親らに言われた庵野さんは仕方なく大学へ進学することに…当時、学科試験がなく実技のみで入学できる大阪芸術大学(通称:芸大)に行くことにします

無事、合格し大阪芸術大学に入学した庵野さんは、映像計画学科に所属するのです

80年代当時は、アニメや漫画などの技術について学べる専門学校も少なく、芸大には全国各地からクリエイティブ業界を志す若者が多く集まってきました(しかし、アニメや漫画の専門授業があったわけではありません)

特に1980年に入学した方の中には現在も業界で活躍している方が多く、庵野さんと同じく「ガイナックス」の設立メンバーとなる山賀博之さん・赤井孝美さんや、漫画家の島本和彦さん・士郎正宗さんなど、錚々たるメンバーなのです

 

さらに1980年といえば、70年代に起きた「ヤマト」ブームから始まり、前年に放送されていた「機動戦士ガンダム」の人気に火がつき出した「ガンダム」ブーム真っ只中…多くの若者がアニメーションに新たな時代の到来を感じていたはずです

庵野さんもそのうちの一人であったことでしょう

 



幼少期の頃からマンガ・アニメ・特撮が好きだった庵野さんはよく絵を描き、中学・高校と美術部に所属し日夜マンガイラストを描く生活を送っていました

高校生になるとペーパーアニメ(自主制作アニメ)制作にハマり、大学浪人時には友人らと共に自主制作グループ「SHADO」を結成しておりました

大学入学後もペーパーアニメ制作は続け、大学入学後に初めに制作された『バス停にて…』は多くの同級生に衝撃を与えます

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バス停にて…

 

1981年 (庵野秀明:21歳)

大学2回生になると【ファーストピクチャーズショー】と呼ばれる芸大校内で上映される課題発表会があり、その発表会で庵野さんは寝る時間を削り一人で制作した『じょうぶなタイヤ』を披露します

自主制作アニメの域を超えた圧倒的なクオリティに誰もが度肝を抜かれ、大きな注目を浴びます

ちなみに、その自主制作アニメを観た同級生の島本和彦さんは〔アニメでは到底敵わない〕と思い、アニメーターへの道を断ち漫画家への道を歩むようになったのは有名な話です


Hideaki Anno Short Film 庵野秀明 自主制作アニメ2 じょうぶなタイヤ!

 


 

ちなみに庵野さんの大学時代(DAICON Ⅲ)などのエピソードについては、島本先生の大学時代の話を元に描かれたほぼ自伝マンガ「アオイホノオ」を読んでいただけると面白いと思います

 

 

DAICON

のちにアニメ制作会社「ガイナックス」設立する岡田斗司夫さんから依頼を受けた庵野さんは、同じ映像計画学科でありSF研究会のメンバーであった同級生で親交があった山賀博之さん・赤井孝美さんと共に大阪で開催された第20回日本SF大会(通称:DAICON Ⅲ)のオープニングアニメの制作に参加します

庵野さんは主にメカを担当…セル画アニメ制作するのが初めてなメンバーが集まり(庵野さんも含む)、慣れないアニメ制作作業は大会当日の朝まで続いたとか…


機動戦士ガンダム』や『宇宙戦艦ヤマト』などのアニメ・特撮に登場するキャラクターを画面いっぱいに動かしたオープニングアニメは、プロ経験のないアマチュアメンバーが集結して制作したとは思えないクオリティにアニメ業界にも強いインパクトを与えるのです


Daicon III opening video

 

そしてそのクオリティは「漫画の神様」と称される手塚治虫さんも〔すごい!〕と絶賛したというエピソードがあります
(その後、アニメ雑誌アニメック」でも大々的に取り上げられ、DAICON Ⅲのオープニングアニメは全国のアニメファンに知れ渡ることになります)

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初めは参加に乗り気ではなかった庵野さんも、セル画アニメを制作する楽しさと共同で作る魅力に惹かれていきます


更に2年後(1983年)に開催される第22回日本SF大会(通称:DAICON Ⅳ)でも自主制作アニメを制作する為、スタッフの育成も含めてその後も自主制作活動を続けます

その時に結成された自主制作チームが「DAICON FILM」です

庵野さんが関係している主な「DAICON FILM」作品

・『愛國戰隊大日本(1982)』特撮、カニック・デザイン、ナレーター役

・『帰ってきたウルトラマン マットアロー1号発進命令(1983)』総監督・主演(ウルトラマン役)

・『八岐之大蛇の逆襲(1984)』レポーター役

 


DAICON Ⅲ」にて多くのアニメファンが熱狂している姿を見たオープニングアニメの企画者である岡田斗司夫さんは、SFファン向けのコンテンツはビジネスになると考え、同じくオープニングアニメの企画者・武田康廣さんをスタッフに加え大阪にSF専門店「ゼネラルプロダクツ」(通称:ゼネプロ)を開店させます

これがのちに設立されるアニメ製作会社ガイナックス」の母体となるわけです

そして庵野さんは、ゼネプロが手がけるグッズのイラストを描くなどの仕事します

 

 1982年 庵野板野一郎に弟子入り(庵野秀明:22歳)

超時空要塞マクロス

DAICON Ⅲ」のオープニングアニメ制作に参加し、「DAICON Ⅳ」でも自主制作アニメする為にはプロの技術を学ぶべきだと考えた庵野さん…

それと同時期に「DAICON Ⅲ」の会場でオープニングアニメを観て高く評価していた「スタジオぬえ」の宮武一貴さん・河森正治さんの誘いもあり、山賀さんと共に『超時空要塞マクロス』の制作に参加します

当初は見学するだけのつもりであった庵野さんだが、『マクロス』で作画監督をしていた板野一郎さんから作画の修正を任せられる形でアニメデビューを果たすのです

これが【庵野秀明・アニメーター時代】と呼ばれる始まりであります

その後3ヶ月間、板野さんからアニメに関する技術を学びながら経験を積み『マクロス』の原画・動画に参加した庵野さんは板野さんの原画に惚れ、師と仰ぐようになるのです

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1983年 (庵野秀明:23歳)

DAICON

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マクロス』で原画などのプロの技術を学び経験を積んだ庵野さんは、大阪で行われた第22回日本SF大会(通称:DAICON Ⅳ)のオープニングアニメ制作に参加するのです

アニメ制作には「DAICON FILM」のメンバーの他に、『マクロス』参加時に交友を深めた板野一郎さん・平野俊弘(現:俊貴)さん・垣野内成美さんらの協力もあり、前回から圧倒的にクオリティが上がります

エレクトリック・ライト・オーケストラの「Twilight」にのせて描かれている本作は、バニガールの女の子がサブカルチャーの世界を旅するのです

前回の「DAICON Ⅲ」以上にパロディネタが組み込まれた本作は、自主制作アニメの伝説をとなります

特に庵野さんが担当した爆破シーンは、今現在から観てもクオリティの高さを感じるシーンです

 

更に「DAICON Ⅳ」ではその後「新世紀エヴァンゲリオン」でも活躍する前田真宏さん・貞本義行さんも参加され、のちに設立する「ガイナックス」の原型が本作で完成することになります

DAICON Ⅲ」から僅か2年でここまで進化した本作を是非、見比べてみてください


DAICON4 opening animation [Full HD up convert]

 

1984年 ナウシカ&劇場版マクロス(庵野秀明:24歳)

風の谷のナウシカ

DAICON Ⅲ&Ⅳ」などの自主制作活動に力を入れていた庵野さんは大学に通わずにいた為に、3回生の時に除籍処分を受けます

このまま大学に通う事に意義を見い出せないと感じた庵野さんは除籍処分を受け入れ、上京することを決断し、東京で就職活動をするのです

これにて、庵野さんの短くて濃密だった大阪時代が終わります…


マクロス』で描いた爆破シーンが評価され仕事がくるようになった庵野さんが本格的にアニメ業界へ乗り出すきっかけとなったのが、1984年に公開される宮崎駿監督の劇場版作品『風の谷のナウシカ』のアニメスタッフ募集の広告であります


当時のアニメ雑誌アニメージュ」でのスタッフ募集の広告を見た庵野さんは、『マクロス』の演出をされていた高山文彦さんを通じて、『DAICON Ⅳ』のビデオと原画を宮崎監督のデスクに置いてもらうのです

すると宮崎監督から〔来い!〕と即答され、『ナウシカ』の原画に参加する運びとなります

庵野さんが担当された『ナウシカ』の原画で一番有名シーンといえば、巨神兵がドロドロと溶けていくシーンであると思います

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このシーンの原画は宮崎監督から割り振られて描くことになりましたが、巨神兵王蟲(オーム)の作画は仕上げるもクシャナ姫などの人物は全て直されたというエピソードがあります

しかし、庵野さんが描かれた煙やドロドロと溶ける巨神兵の質感は現在も語り継がれる名シーンとなりました

 

超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか

ナウシカ』終了後には、同年(1984年)に公開される河森正治監督作品『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』の制作に参加します


再び『マクロス』の制作に参加した庵野さんは宮崎監督の元(『ナウシカ』)で培った経験を活かし、更にクオリティアップした爆破シーンやメカ作画を描き上げます

美樹本晴彦平野俊弘さんが描くキャラクター…板野一郎さんが描くメカアクション…

これらのクリエイターが集まり高水準の作画クオリティで出来上がった本作は、のちに【セル画アニメ・最高峰】と呼ばれる80年代を代表する作品となるわけです


そして、本作の監督である河森正治さんは庵野さんと同じ1960年生まれであり、当時24歳という年齢で監督業を務める姿に刺激を受けます

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スタジオ・グラビトンに参加

劇場版『マクロス』終了後は本作の原画を共にした増岡昭一さんに誘われ、フリーのアニメーターが集まる「スタジオ・グラビトン」の設立に参加します(設立当初の他のメンバー、西島克彦・伊藤浩二さん)

 

ちなみに、1984年の庵野さんの年間スケジュールがわかる記事が当時の雑誌に掲載されていました

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ここで書かれている、ナ○○カというのは『風の谷のナウシカ』というのは言わずもがなのですが、M氏というのは宮崎駿監督のことです

マ○○ス→マクロス

アニメフ○ンド→アニメフレンド

バ○○→BIRTH バース

K氏→金田伊功さん(おそらく)

メガ○○○23→メガゾーン23

 

ガイナックス、誕生

昨年(1983年)の「DAICON Ⅳ」の後、SF専門店「ゼネラルプロダクツ」のオーナーであった岡田斗司夫さんは「DAICON Ⅳ」で監督された山賀さんと作品に関わった「DAICON FILM」のメンバーと共に、アニメ制作会社「ガイナックス」を設立し劇場映画『王立宇宙軍』(『王立宇宙軍 オネアミスの翼(1987)』の前身)のパイロットフィルム制作に乗り出し庵野さんも参加することになります

 

1985年 (庵野秀明:25歳)

メガゾーン23

「スタジオ・グラビトン」の設立に参加した庵野さんは、『BIRTH バース』・『うる星やつら(第156話)』・『魔法のスター マジカルエミ(第1話)』などフリーアニメーターとして活動します

そんなフリー時代の作品の中で一番有名なのが『メガゾーン23』の戦闘シーンです

メガゾーン23』は、美樹本晴彦平野俊弘さんなど劇場版マクロスの主要メンバーが集まったOVA作品であり、庵野さんが師と仰ぐ板野さんも参加されております

ビル街で激しく繰り広げられる銃撃の中を主人公メカ・ガーランドが回避するシーンの爆破や飛び散るガラス片などを細かく作画し、終盤の戦闘シーンを盛り上げるのです

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王立宇宙軍パイロットフィルム完成

王立宇宙軍』制作にあたりアメリカへの取材旅行を向かった庵野さんたちは、アメリカ大陸を横断し作品の肝となるスペースシャトルの打ち上げ現場にも足を運び、作品へのリアリティを追求します

更に自衛隊にも体験入隊し戦車や航空機も実際に触り、作画する為の知識を深めていくのです

王立宇宙軍』のパイロットフィルムで庵野さんは、メカや爆破シーンを中心の作画監督として参加します

こうして制作されたパイロットフィルムは1985年の春に完成し、全国各地の上映会で流されるのです

本作のパイロットフィルムは、パイロットフィルムと呼ぶにはあまりにも完成度が高く、アニメファンを震撼させます(パイロットフィルムで使用されたシーンは劇場版の本編でも使われているぐらいクオリティが高いのです)

 


Royal Space Force: The Wings of Honnêamise (1987) ORIGINAL TRAILER [HD 1080p]

 

1986年 王立宇宙軍、映画制作発表(庵野秀明:26歳)

王立宇宙軍 リイクニの翼

3年前から企画を練り、完成度の高いパイロットフィルムを制作した「ガイナックス」は、『王立宇宙軍 リイクニの翼』というタイトルで映画制作発表をします

かつて多くのアニメファンを湧かせたアマチュアフィルム「DAICON Ⅲ&Ⅳ」で監督を務めた山賀さんが本作の監督(当時24歳)をし庵野さんを含む主要メンバーが20代であったことに加え、おもちゃメーカーで知られているバンダイが初めてアニメ映画製作に進出した事など、本作は公開前から多くの注目を浴びるのです

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1987年 誕生!スペシャルエフェクトアーチスト(庵野秀明:27歳)

王立宇宙軍 オネアミスの翼

昨年に映画制作発表した『王立宇宙軍 リイクニの翼』は『王立宇宙軍 オネアミスの翼』というタイトルに名を変えて、1987年3月14日に公開されました

企画構成から5年、総製作費8億円を掛けて制作された『オネアミスの翼』には、主人公シロツグ・ラーダット役に俳優の森本レオさん…音楽には坂本龍一さんを起用するなど、ガイナックスが本作にかける情熱を感じとれることができます

本作で庵野さんは作画監督と【スペシャルエフェクトアーチスト】という肩書きでクレジットされており、特殊なクレジットも本作の特徴です

スペシャルエフェクトアーチストという肩書きに対して庵野さんはのちに"世間への嫌がらせだった"と語っています

そんな庵野さんの仕事は、特撮作品で見られる爆破エフェクトや煙の軌道などを描くことでした

もちろんCGなどではなく、手描きで全て描かれております

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そして本作での庵野さんの代表的なシーンといえば、作品のクライマックスを彩るスペースシャトルを打ち上げるシーンであります

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これも手描きです!

シャトル打ち上げ時に発生する氷片一つ一つに番号をつけ手で作画され、そして氷片の動きすべてに異なる変化をつけて作画されている為に、膨大な時間とコストをかけて描かれているのです

庵野さん自身、『オネアミスの翼』の作画について現在はもう描けないと語り、"アニメーターの技術としては、『王立宇宙軍』が最高峰だと思っている"と公言しております


『王立宇宙軍 オネアミスの翼』劇場特報

 

夢幻戦士ヴァリス

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ファミコンソフト『夢幻戦士ヴァリス』が発売され、その店頭プロモーションビデオとテレビCMを庵野さんが監督を務めることになります

トップをねらえ!』が初監督とされることが多いですが、その一年前に監督業をされている事実はあまり知られていないでしょう

ヴァリス』の仕事は「ガイナックス」経由ではなく、『機動戦士ガンダム』でお馴染みのサンライズからの仕事依頼であり、それを庵野さんが所属していた「スタジオ・グラビトン」が受けるという形で制作されました(キャラクターデザインは西島克彦さん)


主人公・優子の泣きの表情や『エヴァンゲリオン』『シン・ゴジラ』でも多用された文字テロップなど、3分間と短いアニメーションの中にも庵野テイストを感じることができます

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本作で監督を務めた経験が、翌年の『トップをねらえ!』で監督をした時に活かされているのでないかと思っています


English subtitled Mugen Senshi Valis promotional video ~ anime commercial for Nintendo Famicom

 

1988年&1989年 (庵野秀明:28歳・29歳)

逆襲のシャア

富野由悠季監督の劇場作品『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』に庵野さんはメカニックデザインナーとして参加します

ガイナックスに『逆シャア』の仕事の依頼があり、初めに主人公アムロが搭乗する劇場版用の機体デザインを決めるコンペに参加することになった庵野さん

前作の『Zガンダム(1985)』や『ガンダムZZ(1986)』などの線の多いデザインよりも線の少ない方がアニメーターの方が動かしやすい考えた庵野さんは、線の少ないデザインを求め…その結果、安彦さんがデザインした1stガンダムに瓜二つなデザインを提出するです

それを見た富野監督は涙を流しながら庵野さんに怒ったというエピソードがあります

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庵野さんがデザインしたと思われるコンペ画


劇場版制作から少し経った1993年には、庵野さんを中心に北爪宏幸さんや出渕裕さんなど当時のスタッフが集結し制作された『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア 友の会』という同人誌があります

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豪華スタッフが集結して制作された同人誌だけあって、現在ではプレミア価格がつくほどの貴重な同人誌となっているのです

一度でいいから読んでみたい!

 

トップをねらえ!

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1987年に公開した『王立宇宙軍 オネアミスの翼』…それを制作した「ガイナックス」は本作が完成すれば解散される予定でした

しかし、興行不振により借金を抱えた「ガイナックス」は借金を返済する為に次回作を作ることなるのです

その次回作となるのが『トップをねらえ!』であります

しかし、初めのプロットと脚本は固まっていたが中々監督が決まらず、一時的に企画が凍結していました

そんな本作の第2話の脚本をたまたま読んだ庵野さんは、脚本の出来に感涙します

〔自分は監督には向いてない〕と常に感じていた庵野さん…しかし、本作が世に出ないのはもったいない

悩んだ末、『トップをねらえ!』の監督をすることを決意するのです

この瞬間、"アニメ監督・庵野秀明"が誕生することになります

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ガイナックスが制作した『オネアミスの翼』の興行不振の原因を地味な世界観であると考え、『トップをねらえ!』では【スポ根×ロボット】という当時では珍しい組み合わせをし、明るい作風を意識して制作されます

またキャラクターデザインにも『マクロス』や『メガゾーン23』で人気を博した美樹本晴彦さんを起用することでアニメファンが好む作品を作り上げるのです

そのようにして制作が開始されたアニメOVAトップをねらえ!』は、美樹本さんのキャラクター・樋口真嗣さんの特撮やコメディにパロディ・岡田斗司夫さんのSFシーン・山賀さんのドラマ・そして、それをまとめる庵野監督の映像的解釈によりアニメOVA史に残る人気シリーズとなります

その結果として当初、各話25分全4話で構成される予定になっていたのが2話追加され、全6話制作されるわけです

更に最終回である第6話では、今までのアニメにはない斬新な発想で作り上げた世界観は、今現在も伝説の名場面として語り継がれております

それは、60・70年代のアニメや特撮を観て育ったオタク第一世代の庵野監督らだからこそできたことなのです

 


 

トップをねらえ!』の話をしていたら、なんだか本編が観たくなってきませんか?

私は今すぐにでも観たい!

 

そんな方に【朗報】

2020年11月27日(金)より東京・大阪・名古屋・福岡・札幌の映画館でトップをねらえ!』が劇場上映されます!!!(上映期間未定)

今回の記事はコレを紹介したくて書いているようなものです

更に劇場では来場者特典として、第1話の映像をフィルムにした「生コマフィルム」が配布されます(なくなり次第終了)

 

是非劇場に足を運び、主人公、タカヤノリコ・声優、日高のり子・主題歌、酒井法子(のりこ)…3人のトリプルのりこを楽しみに劇場で生命を燃やしましょう!


『トップをねらえ!』 OVA 前編/後編 劇場上映告知PV

v-storage.bnarts.jp

 

20代の庵野秀明が遺した功績

こうして、『トップをねらえ!』でアニメ史に偉大なる功績を残した庵野監督は1990年に『ふしぎの海のナディア』…1995年に『新世紀エヴァンゲリオン』の監督として大ブレイクするわけですが、それはまた別の話ということで…

(当ブログは80年代のアニメを語るブログなので、その後のことについては書きません)

 


 

今回、庵野秀明監督が80年代に遺した足跡を辿ってきて分かったことが一つあります

それは…

庵野監督の80年代の功績を知るということは、80年代アニメを知ることと同義であるということです

 

大学入学以前からペーパーアニメという形でアニメーション制作に取り組んでいた庵野さんは、アマチュア作品「DAICON Ⅲ」のオープニングアニメで仲間たちと共に作品を制作する楽しさに魅せられます

その好奇心は、やがて庵野さんをプロのアニメーターにし『王立宇宙軍 オネアミスの翼』で再び集まった仲間たちと今度はプロのアニメ作品を作るのです

そして『トップをねらえ!』でアニメ監督となる…

これが10年間(1980年〜1989年)に起きた"庵野秀明の80年代"であります

 

ひとつひとつが独立しているように見えて、実は全てが繋がっている…

そして、庵野さんらの存在が多くの若手クリエイターに刺激を与え、頭角を現すことになるのが80年代におけるアニメ史であります

これも庵野さんを含む「DAICON FILM」メンバーの功績なのです

 

そして、それらの功績や培われた経験は必ず最新作品でもフィードバックされるはず…

それが、人生であるわけです

 

ここまで長くなりましたが、庵野さんの80年代の功績を辿っていくと今までに観てきた監督の作品も違って見えてくると思います

『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』まで残りわずか…

是非、80年代の庵野さんを巡る旅に出てみてはいかがでしょうか

 

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