いよいよ『富野由悠季の世界』島根会場が近づくにつれ、胸の高ぶりが抑えられないSATAトミオです
以前ブログ記事内で書いたように、自分は島根会場の内覧会参加の募集に応募し、繰り上げ当選しました
「富野由悠季の世界」島根会場
— SATAトミオ@80年代Lover(26歳) (@YTOSzjxpdHOjt9g) 2019年12月18日
まさかまさかの内覧会に参加させていただくことが決まりました❗️
【こんなに嬉しいことはない】
てか富野監督と記念撮影って…
創造主サマと私が同じフレーム内にだと…
ダメだ、今から震えが止まらん…!! pic.twitter.com/ljRaDhdIq5
当選した時は、夢なのではないかと思いました
内覧会イベントの特典として富野監督との記念撮影があります
そして参加が決まってから身だしなみだけはしっかりとしていかないといけないなと思い、ヘアサロンを予約し、服装もジャケットなどを新調しました
自分なりに準備していき、富野監督への思いを考えているうちに色んな感情がこみ上げてきて〔これは書いて残しておきたいな〕と思うようになりました
(会った瞬間に色々と考えてることが吹っ飛びそうなので…)
外面の準備はできましたが内面の準備…つまりは『心』の準備ができていません
富野監督へ思いを振り返ると、20代の自分がどのようにして80年代アニメへ導かれていったのかというのも見えてくるはずです
そこで今回は自分にとって【富野由悠季監督とは】ということを書いていきます
『ガンダムZZ』から始まる80年代アニメへの道
まずは富野作品との出会いを書いていきたいと思います
出会いは中学2年生のときでした
ですので今から11年ぐらい前でしょうか(ファン歴が短くて恥ずかしい)
当時の自分は野球部に入っていて練習に明け暮れていました
小学生の頃もクラブチームに入ってて土日も練習に参加してアニメを殆ど観たことがない奴でした(なので00年代のアニメの知識は超浅いです)
そんな自分の富野作品との出会いはゲームでした
兄が友達から借りてきたゲームの中に「PS2機動戦士Zガンダム エウゥーゴVSティターンズ」というのがあり、そのゲームをただ楽しんでプレイしていたのが始まりです
そして当時『機動戦士Zガンダム』がケーブルテレビで放送されていて、ゲームの元ネタが気になったのが観るキッカケでしたね
といっても観始めたのが作品終盤(たしか「湖畔」)からだったので、よくわからないまま観ていたのを覚えています
『Zガンダム』が終わり、その翌日から続編にあたる『機動戦士ガンダムZZ』の放送が始まりました
なんとなく流れて観始めた『ガンダムZZ』でしたが、ここで私は覚醒しました
理不尽な大人の戦いに巻き込まれるジュドーたちの姿に、当時ジュドーと同い年だった自分を重ねて観ていました
昔のアニメがこんなに面白いのだと教えてくれたのは『ガンダムZZ』であり、富野作品でした
その為、今でも一番好きなガンダム作品といえば『ガンダムZZ』になります
この時は富野監督の存在も感じず、ただガンダム作品として観ていたと思います
そして私が富野監督を感じるようになったのは『ガンダムZZ』の放送が終わり、少し間が空き放送された『戦闘メカザブングル』です
番宣CMでも富野監督のことに触れらていたように思いますし、お笑い芸人のコンビ名と同じ名前が使われていることに興味を持ったのもありますが、当時の自分は『ガンダムZZ』の影響から昔のアニメに飢えていたように思います
『ザブングル』を観始め、三日間の掟、次第にわかるイノセントとシビリアンの格差…そしてシリアスな展開を忘れさせる程のハチャメチャな展開
何もかも夢中になって観ていました
そこでアニメ監督というポジションと80年代アニメの豊かさを意識し始めるようになりました
そこから『ダンバイン』 、『1stガンダム』 、『Zガンダム』と観ていき、高校生になると『∀ガンダム』、『Vガンダム』と富野ガンダムや他のガンダムシリーズを中心に観ていきました
そして自分が【富野由悠季】という人物そのものを好きになったきっかけが2014年に放送が開始した『ガンダム Gのレコンギスタ』であります(当時20歳の時ですね)
富野が新作アニメを手掛けられるのが劇場版Zガンダム以来(リングオブガンダムを除く)で、遂に富野監督の作品がリアルタイムで観れるのかとワクワクしたのを思い出します
そして特別先行上映の時に『Gレコ』に触れ、エンディングテーマの「Gの閃光」を始めて劇場で聴いたあの感覚は今でも忘れられません
『Gレコ』という作品を深く知ろうとする内に富野監督自身の魅力に気づかされました
周りに人を寄せつけない怖さというのがある感じがしていたのですが、実際にはとにかく真面目で仕事熱心が行き過ぎて怖く写るのだと分かったわけです
その上とてもお茶目で周りを常に気遣う姿勢を持った方だと解釈してます
今では富野監督の作品が好きなのか富野監督そのものが好きなのか分からなくなってきています(どっちも大好きなわけですけど)
そして『Gレコ』は大きな富野作品ロスとなり、『イデオン』『エルガイム』と富野監督作品をむさぼるように観て…更には富野監督がコンテマン時代の作品(母をたずねて三千里など)を漁るようになりました
現在、富野監督作品で視聴できていないのは『ライディーン』と『ラ・セーヌの星』ぐらいだと思います
チャンスを最大限に活かしきれなかった過去
初めて富野監督を生でお目にしたのは21歳の時でした
そこから数回お目にして富野監督の人柄というのを見て、好きになっていきました
ここで私が富野監督を生でお目にした記録を振り返ってみたいと思います
さぬき映画祭 2016/2/20
名古屋NHK講義 2016/9/11
奈良逆シャア上映 2017/9/3
富野由悠季の世界 神戸会場2日目来館2019/10/13
富野由悠季の世界 劇場版Gレコ関西最速試写会 2019/10/27
こうして見てみると自分で思っているほど富野監督を生で見ていなかったのだなと気付かされます(10回以上見ている気がしていました)
今思えばチャンスを最大限に活かすことのできなかった歴史でもあるなと感じます
それは初めて生でお目にした『さぬき映画祭』でのことです
『さぬき映画祭』ではガンダム三部作が劇場で上映され、富野監督が登壇されるということで香川に乗り込むしかないと思いで行ったのを思い出します
そこで運良ければサインもいただけるかなと期待しつつ、サインペンをカバンに入れて行きました
舞台挨拶が始まる寸前に、小さい子どもが持ってきたガンダム展の図録に快くサインする姿はめちゃくちゃ紳士だった富野監督(親が子どもに入れ知恵してサインをせがんだようにも見えましたけど…)
強面で近寄りがたいイメージのあった富野監督がすごくユーモアに溢れ愛すべきお方だと感じれた貴重な瞬間でした
(やはり富野監督の魅力は生でお目にしないとわからないですよね)
そして上映終了後に劇場ロビーに富野監督が出てこられて記念撮影をしていて〔今がチャンスだ〕とサインペンとさぬき映画館のパンフレットを持ちました
私が撮った写真です
周りファンもサインを欲しさに監督を囲い、サインください!のアピール合戦
アピール合戦の末、監督がこちらに気づいて自分のサインペンを持っていただきました
〔やった!〕と思った矢先、横にいた人にサインをしてその人にペンを返されたのです…
唖然とした顔でその人と顔を見合わせ、そっとペンを返されたのです
これが人生の中でベストテンぐらいに入る悲劇「富野監督直筆サイン貰いそびれた事件」の全貌であります
(ちなみにその時のペンとパンフレットがこちら↓)
自分のペンでサインを貰った人がツイッターで自慢している様子を見て〔ク○やろめー!〕と心の中での叫んだのが今では懐かしい記憶です
その後も富野監督をお目にする機会があり、『富野由悠季の世界』神戸会場の開催2日目に会場でお目にした時には誰もいない空間で自分の後ろを通り過ぎたのにも関わらず声をかけることができませんでした…(この後めちゃくちゃ後悔しました)
始めの『海に陽に』が流れるエリアに小林学芸員が現れ、何かあるなと見ていたら富野監督と夫人が登場!
— SATAトミオ@80年代Lover (@YTOSzjxpdHOjt9g) October 13, 2019
富野夫妻が自分の後ろを通り過ぎてが、異常な心拍数と緊張から声をかけれなかった(チャンスを最大限に活かせなかった😭)
富野監督に会って伝えたいこと
自分が富野監督…富野作品を推す理由は、未来を見ているということです
環境問題など我々が目を背けたくなるようなことに対しても真っ正面から向き合い、誰よりも未来を生きる子どもの為にと考えながらアニメーション作りに取り組む姿勢はすごくかっこいいです
そして20代の自分よりもパワフルな姿を見ていると〔負けられないな〕と奮い立たせてくれます
今、自分がブログなどで80年代アニメの為に愛を捧げてられるのも富野監督が居てくれたからであり、感謝しても足らないぐらいのものをいただきました
時には80年代アニメが好きになったことでつらい経験をしたこともありましたが…
(詳しくことはこちらに書いてあります)
辛いことをものともしないで80年代アニメが好きでいられるのは、富野監督の存在があったからだと思います
富野監督と直接お会いして話すことができる…これは望んでも誰しもが叶うことのない巡り合わせだと感じています
現在25歳の私、四半世紀を生きてきた自分にとって今後の運命を左右するターニングポイントになる出会いになるのではないでしょうか…
つまりは、これは"イデの導き"です
たとえ接する時間が数秒…数十秒だったとしても、その思い出は十年…二十年と生き続けるはず
何を話そうかと内覧会イベントに参加が決まってからずーっと考えています(書いている今もまだ悩んでいます)
そもそもお会いしても豆腐メンタルな自分は、話せずにモジモジしているだけの可能性が大きいわけです…
結局何をどう考えても、"今の自分があるのは富野監督のおかげであること"と"80年代アニメが好きな若者はいる"という、すごく個人的なことしか言えないのです
その気持ちをシンプルに伝えようと思います
富野監督と直接お話しできるのは最初で最後かもしれないので後悔の残る出会いにはしたくない!
チャンスは最大限に活かす…それが私の主義だ!というシャア大佐のようにビシッときめて、最高の思い出にしたいと思います
…では富野監督に会ってきます!
『富野由悠季の世界』展の情報(内覧会レポートなど)や80年代アニメについて随時更新おります
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